2011年04月08日

サマータイムって、なあに?? その4

 
・・・ サマータイムって、なあに?? その3 の続きです。


私は日本でもアメリカ人やカナダ人と一緒に働いていたことがありますが、
その時はフレックスタイムにしていました。

基本的には、朝8時から夕方6時頃までが仕事の時間でしたので
お昼休みや午前・午後の休憩時間も入れると、
およそ10時間ほど仕事で拘束されることになります。

彼らが行っていたフレックスタイムは、
昼間が徐々に長くなり気温が上がってくる4月上旬から
仕事の開始時間を1時間ずつ早くしていき、
それに応じて仕事が終わる時間も1時間ずつ早くしていくのです。

たとえば、、、

  4月上旬から5月中旬   朝7時スタート 夕方5時に終了。
  5月中旬から6月下旬   朝6時スタート 夕方4時で終了。
  6月下旬から8月上旬   朝5時スタート 午後3時で終了。
  8月上旬から9月下旬   朝6時スタート 夕方4時で終了。
  9月下旬から10月下旬  朝7時スタート 夕方5時で終了。

そして、
  11月から3月までは、標準時間の朝8時スタートで夕方6時に終了。

・・・という感じです。


最初は驚きましたけれど、
日の出や日の入りの時間だけでなく、気温の寒暖にも合わせながら
起きる時間を調整していくので、
逆に仕事の効率は意外と上がっていきました。

特に真夏の早朝5時スタートは、
同じ作業をするにしても、とても清々しくて
体もあまり負担がかからないので、むしろ合理的だと思いました。

それと、世間一般の就労時間帯とずれることから
確実に通勤時間帯の渋滞にも遭わないので
精神的なストレスからも解放され、すごく心地よく通勤できたのを覚えています。


「早起き」と聞くと、それだけで拒否反応を示す人も多いのかもしれませんが、
日中の厳しい暑さが続く時間帯にダラダラ〜〜と働き続け、
熱中症にかかるリスクを負い続けることを考えれば、
はるかにマシだと思うのですが、いかがでしょうか??

そろそろ4月も中旬ですから、
さすがに今年にサマータイムが導入されるとは思えませんが、、、
それぞれの企業や学校の判断で、このようなフレックスタイムを導入すれば、
一時的な需要のピークを下げる効果があるかと思いますし、
熱中症などにかかる人の数も少しは減らせるのではないかと思います。

今までやったことのないことに挑戦するのは、
相当の勇気があることだと思いますが、
計画停電を避けつつ電力需要をうまく配分するため、
そして、被災地にも十分な電力を供給するために、
ぜひとも一度、大胆なフレックスタイムを検討してみてはいかがでしょうか。


★今日のテリー語録

「夜型生活から、朝型へ。」

かつては学年トップの遅刻常習犯だった私・・、
学生時代ですら、寝るのはだいたい午前3時頃だった私・・、
そんな私でも半年後には、午前4時起きのフレックスタイムに
適応することができたんです。
きっとあなたにもできますよ!!

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posted by テリー at 20:50| Comment(0) | TrackBack(0) | カナダ時代

2011年04月06日

サマータイムって、なあに?? その3

 
・・・ サマータイムって、なあに?? その2 の続きです。


前回は、サマータイムが始まってから真夏の頃までのお話をしましたが、
今度はサマータイムから通常の標準時間に戻るときのお話です。

私がカナダにいた当時は、
10月の最終週の日曜日に標準時間に戻っていました。
具体的には、日曜日の午前2時になると、いきなり午前1時に逆戻りするわけです。


さすが高緯度の国だけあって、10月の下旬になるとかなり日が短くなるのを感じます。

10月下旬の頃ですと、サマータイムのときは午後6時頃に日の入りだったが、
標準時間に戻った瞬間、いきなり午後5時頃に日の入りになるわけです。

前の週までは、仕事帰りにスーパーに寄るときもかろうじて明るかったのに、
サマータイムが終わった瞬間、同じ時刻なのに真っ暗になってしまうんです。

この時ばかりは、ちょっと損をしたような気になってしまいます。。。

そしてその感覚を味わったと同時に、
「これからいよいよ、長い冬が始まるんだな・・。」と思ったものでした。


なお、日の出の時間も1時間早まりますので、
サマータイムのときは、午前7時頃に日の出だったのが、
標準時間では、午前6時頃になります。

こちらは得した気分になるはずですが・・・、
あまりそういう実感はありませんでした。

気温そのものも標準時間に切り替わる頃から急激に寒くなっていきますし、
雪が降り始めるのも、だいたい11月初旬あたりですから、
寒くてあまり早起きする気にもなりません。。。

日の出の時刻も高緯度の国らしく、日に日に遅くなり
冬至の頃には午前8時頃にようやく日の出になるのです。
(もちろん標準時間です。)


以前、ブログ記事「 カナダの冬・・。【日照時間】 」でも書きましたが、
カナダの冬は1日の日照時間がとても短くて、
日の出が午前8時頃、日の入りは午後4時頃でした。

その時期だと、仕事は午前8時から午後4時半まででした。
日の出とともに仕事を始め、日が暮れるとその日は終了・・という感じですね。

ただでさえ少ない日照時間を最大限に活用していたわけですが、
そのために活用されていたのが、フレックスタイムです。

前回のお話でも、真夏のときには、
朝5時から仕事を始めて、午後2〜3時には終わることもそうですし、
日の出、日の入りの時刻や気温に合わせて、
仕事の時間をフレキシブルに変化させていたんですね。

最初は驚きましたが、
実際にやってみると、とても合理的だな・・と感じました。


・・・ サマータイムって、なあに?? その4 に続く。


★今日のテリー語録

「やってみると、、、意外にいいもんだ。」

サマータイムにせよ、フレックスタイムにせよ、
最初は「早起きなんて、ムリ!!」と思っていたのですが、
実際にやってみると、意外と心地よかったりするんです。

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posted by テリー at 06:12| Comment(0) | TrackBack(0) | カナダ時代

2011年04月05日

サマータイムって、なあに?? その2

 
・・・ サマータイムって、なあに?? その1 の続きです。


私はカナダに2年近く住んでいたので、
サマータイムを実際に経験したことがあります。

体験したことのないことは、なかなかわかりにくいと思いますので
私の経験をお話ししますね。


私がカナダに渡った当時は、
4月の第1日曜日から10月の最終日曜日までがサマータイムでした。

一旦サマータイムの中に入って生活してしまえばどうということもないのですが、
切り替わった翌日の月曜日は要注意です。
いつもよりも1時間早く起きるつもりで、かつ1時間早く仕事に行くつもりでないと
確実に遅刻してしまいます。。。
(まあ、2日目の火曜日からはだいたい安定するんですけどね。)


私が住んでいたのは、カナダの太平洋側にある
ブリティッシュ・コロンビア州(BC州)の大都市バンクーバーから
270kmほど内陸に入った、メリットという小さな町でした。

カナダと聞くと、北海道よりも緯度が高いので、
「夏でも涼しい国」というイメージがあるかもしれません。

確かに真冬になるとマイナス40℃にもなるので、
「寒い」を通り越して凍りつくほどの厳しい気候でしたが、
真夏になると、日中は40℃を超える・・という、典型的な内陸性の気候(!)ということもあり
油断しているとすぐに熱中症にかかってしまうほど、暑かったのです。。。

その代わり、日中40℃を超えるような日であっても、
朝は割と涼しいので、(だいたい22〜23℃ぐらいでしょうか。)
午前中なら仕事も割とはかどる傾向はありました。


当時の私は、ログハウスを作るログビルダーという職人稼業だったので、
仕事中はずっと屋外での仕事でした。

5月の下旬から急激に暑くなってくるのですが、
特に7月は、午後になってくると殺人的な暑さに見舞われますので、
朝5時から仕事を始め、(通常時間だと午前4時になりますね・・。)(^_^;)
明るくて涼しい時間帯に仕事を集中的にこなして、
40℃を超えるほどの気温になる午後2時(もしくは3時)には、
仕事を終えるという、フレックスタイムでの仕事スタイルでした。

仕事を終えても、まだまだ暑さが残る上に明るいので、
軽くシャワーを浴びて夕方4時頃から近くのバーへ飲みに行くことが多かったです。

そして、夕方(・・といっても昼間と同じぐらい明るいのですが、)6時頃には帰宅し、
エアコンをつけてのんびりと食事をとり、TVを見たり本を読んだりしながら
9時頃にはベッドに入っていました。

ちなみに7月の日の入りは、だいたい午後10時頃。

でも、翌朝は4時起きなので、真っ暗になる前には
ベッドに入らないと、朝起きれなくなってしまいます。。
そんなわけで、まだ明るくても9時頃には、ベッドに入っていました。

たまにうっかり友達と話し込んだりして、
照明をつけなければならないほど暗くなったことに気づいた瞬間、
慌てて帰ったこともありましたね。。。


・・・ サマータイムって、なあに?? その3 に続く。


★今日のテリー語録

「全ての人に平等なもの、それは『時間』です。」

お金持ちだから、1日が40時間になったり、
貧乏だから、1日が10時間になるわけではありません。
全ての人に平等に、1日24時間になっています。
あとは、時間の“使い方”の違いだけですね。(苦笑)

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posted by テリー at 21:33| Comment(0) | TrackBack(0) | カナダ時代

2011年04月04日

サマータイムって、なあに?? その1

東日本大震災の後、3月22日の記者会見で
節電啓発を担当する蓮舫行政刷新相が、夏場の電力不足に備えるために
サマータイム(夏時間)の導入などを検討する考えを表明しました。


サマータイムとは、

  夏の間、太陽の出ている時間帯を有効に利用する目的で、
  現行の時刻に1時間を加えたタイムゾーンを採用する制度、
  又はその加えられた時刻のこと。

  明るいうちに仕事をし、夜は早く寝るようになるため、
  結果的に省エネルギーにつながるとされている。
  緯度が高く夏の日照時間が長い欧米諸国などでは一般化した制度である。
  
                  ( ウィキペディアより引用。 )
  
ちなみにアメリカやカナダでは、「サマータイム」とは呼ばず、
「デイライト・セービング・タイム」(daylight saving time)
の頭文字をとって、「DST」と呼んでいます。

日本では、戦後GHQ統制下において、
1948年から1951年までの4回だけ導入されたことがあります。
(サンフランシスコ講和条約で日本が独立を果たした後はなくなりました。)

国によって違うのですが、
だいたい4月の第1日曜日から10月の最終の日曜日までが
サマータイムの期間となります。

サマータイムで行うことといえば、単純に時計の針を1時間早めるだけなんですが、
「そうすると、どうなる??」という感覚は、
私たち日本人にはちょっとつかみにくいかもしれません。

夏至のときを例にして、お話ししていきましょう。


平成23年6月22日 金沢での日の出と日の入り時刻です。

          日の出    日の入り
通常時間:    4:35    19:15
サマータイム:  5:35    20:15 


たとえば、朝6時半に起きて、
始業時間が朝8時30分、
終業時間が午後5:30の会社に勤務し、
(ちょっとだけ残業して・・)、
夕方7時頃に帰宅するとします。

通常時間であれば、日の出から2時間ほど経ってから起床し、
日の出から4時間経ってから仕事を始めることになり、
帰宅した頃にはすでに薄暗くなってくることになります。

これがサマータイムになると、日の出から1時間ほど経ってから起床し、
帰宅した後も十分に明るいので、照明をほとんどつけずに夕食をとることができます。
あるいは、どこかに買い物や飲みに行くにしても、
まだ明るいので商業施設の照明などは夜よりも抑えめにすることができる
・・というわけです。

まあ、照明で節電できても、今は家庭用のエアコンの普及で
思ったほどの節電効果はない・・というご意見もあるようですが、
通常時間であろうが、サマータイムであろうが、
本当に暑い日は、起きている時間の間はエアコンを作動させているでしょうから、
その点ではあまり変わらないかと思います。

それよりも現代では、別の意味でサマータイムの意義があるような気がします。

日本の夏はとても暑いんですが、それでも午後2時から3時頃に比べれば
午前中は割と涼しいので、仕事なども午前中の方がはかどりやすいと思います。
また、(地域にも依るでしょうが・・) 家庭内であれば、
午前中はエアコンをつけなくても、まだ何とかなりそうな感じです。

つまり朝1時間早く起きて活動することによって、
午前中の涼しい時間を就業や勉強に1時間多く充てやすくなり、
能率アップが期待できると思いますよ〜♪


・・・ サマータイムって、なあに?? その2 に続く。


★今日のテリー語録

「国民全員が一斉に、1時間だけ“早寝早起き”をすること。」

最近は「朝活」という言葉もあるぐらいですが、
仕事ができる・・といわれている人に共通していることが、“早寝早起き”なんです。
なんとなくかもしれませんが、ちょっとだけ得したような感覚になるから不思議です。

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posted by テリー at 20:50| Comment(0) | TrackBack(0) | カナダ時代

2010年01月16日

追悼・・、阪神・淡路大震災から15年。


1995年(平成7年)1月17日午前5時46分、阪神・淡路大震災が発生、
6000人以上の尊い命を失い、それ以上に多くの住居が全損壊、あるいは、焼失しました・・。


今年の1月17日で、ちょうど15年になるわけですね。

「もう、そんなに経つのか・・?」と、思う人も多いのではないでしょうか?

ところで、その当時・・、
「あなたは、どこで、何をしていましたか?」
・・ちょっと、思い出してみてください・・。


当時の私は、石川県金沢市内の古い木造アパートの二階に住んでいました。

震源地から300kmぐらい離れているはずなのに、地震発生の瞬間は、相当、揺れたらしいです。
私はまだ寝ていたので、「どのくらいの揺れ方だったのか?」、全く分からないのですが・・(^_^;)
同居人は、その揺れですぐに飛び起きて、ずっとNHKのニュースを見ていたそうです。

そして、阪神高速道路の高架が横倒しになっている、あの衝撃的な映像が飛び込んできました!!
その後も次々と映し出される衝撃的な映像の数々・・・、
本当に、これは日本なのか!?・・、自分の目を疑いました。。

やはり、今でも私の記憶に強く残っているんです・・。


さて、私は、震災の2ヶ月後にカナダに渡ってしまったので、
約2年後に帰国してから、友人を訪ねるために神戸に向かいました。

すでに震災から2年ほど経っている上に、
先進国である日本の大都市ですから、おそらく・・、
「街並みもきれいになって、ほぼ復興しているのではなかろうか。」と、
漠然と思いながら、神戸の長田区に向かったのですが・・、
またしても、驚きました!!

明らかに傾いている家や半壊状態の家でも、人が普通に生活していました!!
神戸の繁華街である三宮の道路も歩道も、2年経ったにもかかわらず
ガタガタになっていたのを見て、やっぱり衝撃を受けました!!
「大地震の被害は、これほどまでに・・、復興に時間がかかるのか・・?」

その後も、仕事で関西に行くと、必ず震災の時の話が出てきました。
「その当時、この建物がこれぐらい揺れた!!」とか、
その時の痕跡とか、いろんな人から見せてもらいました。


15年経ったとはいえ・・・、
被災した人や、大切な人を亡くした人、九死に一生を得た人にとっては、
「何年経とうが、絶対に忘れられない!!」記憶だと思います。

しかし、そんな神戸でも、
実体験のない、中学生ぐらいまでの子供たちだと、
今一つ、ピンと来ない部分もあるのかもしれませんが・・、
決して風化させることなく、次の世代に伝えていきたいですね。

そして、亡くなられた方々には、謹んで哀悼の意を表します。。


★今日のテリー語録

「神戸でできなかったボランティアを、能登半島でさせていただきました。」

何か、できることはないのだろうか・・?、、
震災後の神戸を見たときにそう思ったからこそ、
12年後の能登半島地震(平成19年)の際には、
すぐに災害ボランティアにも参加することができました。

 

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2009年12月22日

カナダの冬・・。 【 日照時間 】

 
     2009_12220013.JPG
 
今日は、全国的に、冬至(とうじ)です。(笑)

「冬至には柚子湯(ゆずゆ)に入るといい。」・・そうです。
確かに、芳香によるリラックス効果だけでなく、
体を温めて風邪を予防したり、美肌効果もあるそうです。

写真の柚子は、実はお隣からの頂き物です。(^o^)
これは柚子湯になる・・予定はなくて、後日、嫁さんに頼んで、柚子ジャムになる予定です!
 (マーマレードみたいで、とっても美味しいんですよ〜!!)


それはさておき、冬至というのは、1年のうちで日照時間が一番短い日です。

特に現場仕事など、屋外で仕事をされているみなさんにとっては、
「ほんまに、日が短くなったな〜〜。」と実感されていることと思います。


私はカナダに2年近くいたので、現地での冬至も、経験しております。

・・といってもカナダは広い!!

アメリカとの国境ギリギリなら、北緯49度と、まだ低いのですが、
(それでも、札幌の北緯43度よりもずっと高いですけど・・。)
さらに北へ進んでいくと・・・、もう、北極圏内ですね。(!)

私が住んでいた町は、バンクーバーよりも270kmほど、北東に進んだところにあり、
緯度でいうと、だいたい北緯50度あたりになりますので、
日本の冬至の時よりも、当然、日照時間は短くなります。

日の出はだいたい午前8時頃、そして、日の入りは午後4時頃だったと思います。。
ですから、日照時間は約8時間ですね。
晴れていれば、その前後20分ぐらいまでは、まだなんとか見えるぐらいの明るさですが、
ちょっとでも曇っていたりすると、本当になかなか明るくならないんですよね〜。

屋外の仕事なので、日照時間の影響をすご〜く受けてしまいますから、
仕事の時間も、冬至の頃ですと、午前8時から午後4時半頃まででした。
ちょうど、「仕事がノッてきたなー。」と思った頃に、暗くなって、今日はおしまい!!
・・という感じでしたね。(笑)


そして、カナダでの冬の夜は、本当に長いのです。

その頃の私は、モーテルを月極 ( Monthly rate )  で借りて、
一人暮しをしていた頃です。。
他のカナダ人たちは、夜は基本的に家族で過ごしますから、
ファミリータイムが増えていいのかもしれませんが、
私は部屋で、TVを見ているか、本を読みながら過ごしていました。
現地にいたときで、一番TVを見ていたのが、この冬の頃でしたねー。

夜は、とにかく暇なんです。

夕方、(・・といってもすでに真っ暗ですが)、4:30頃に仕事が終わって、
スーパーへ買い物に寄っても、5:30頃には自分の部屋に着いてしまいます。
それからシャワーを浴びて、いそいそと夕飯を作り始めるのですが、
一人暮しでそれほど凝ったものを作るわけでもありませんので、
結局、7時前には食べ終わっているんですね〜。

それから、特にやることもないので、
ずっとTVを見たり、本を読みながら、10時頃には寝ていたような気がします。

寒さに関しては、冬至の頃は、まだそれほど本格的な寒さではありませんでした。
(まさかその1ヶ月後に、マイナス39℃!になるとは思いもよりませんでしたが・・。) (>_<)

最低気温は、せいぜいマイナス5℃程度ですし、日中には0℃以上になりますから
多少の雪は降るものの、体への負担はそれほどのことはなかったですね。

とにかく、冬のカナダというと、薄暗い・・というか、夜のイメージしか残っていません。
おそらく、同じように高緯度の北欧諸国もそんな感じなんだろうな・・と思いました。


さて、冬至の後には、みんなが楽しみにしている Christmas!! が待っています。

恋人同士や家族で過ごすイメージの強いクリスマスですが、
遠く離れ離れに暮らしている家族がお互いに会いに行ったり、数日間の休暇を取るなど、
どちらかというと、日本でいうお正月のような印象でもありましたね。

そして、クリスマスが終わると、いよいよ本格的な冬になるのです。


★今日のテリー語録

「長い夜、そしてさらに長い冬に、どんな楽しみを見出しますか?」

別に、日本経済のことを言っているのではありません。(笑)
冬の頃は、 “ Friends ”などのTVドラマをよく見ていましたし、
実姉に頼んで、日本の小説を何冊も送ってもらって、よく読んでいました。
それまで小説を読むことがほとんどなかったので、
読書の楽しさを知ったのも、ちょうどこの頃でしたねー。(^o^)

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posted by テリー at 19:50| Comment(0) | TrackBack(0) | カナダ時代

2009年12月09日

カナダの冬・・。【 Cotton kills. 】

 
     2009_12090006.JPG
寒くなってきましたねー。
毎年、冬になると、カナダにいた頃を思い出します。 (^o^)

私がカナダに渡ったのは、今から15年ほど前のことになります。
私が住んでいた町は、太平洋側にあるカナダで三番目に大きな都市バンクーバー・・ではなくて、
そのバンクーバーからちょっとだけ(・・といっても、270kmぐらいですが。)(笑)
内陸に入った山間部の小さな町だったので、
冬は本当に極寒で、マイナス39℃にまで気温が下がることがありました!!

  ※ バンクーバーはそんなに寒くはありませんので、ご安心下さい。
    冬の観光にもよろしいかと思いますよ〜♪
    氷点下になることも珍しいぐらいですから。(^o^)

当時は、ログハウスを作る仕事をしておりましたので、基本的には外仕事でした。
冬でもマイナス18℃ぐらいまでは、仕事が中止になることはありませんでした。

なぜ、マイナス18℃なのか?

「 マイナス18℃ 」 というのは、だいたい華氏0度( 0°F )に相当します。
そして、私たちは、チェーンソーやクレーンなどのエンジンを使った機械を使用していましたが、
基本的には北米仕様のため、その設計温度が、0°F = マイナス18℃ ということでした。
それ以下の気温だと、エンジンがかからなくなるので、仕事そのものも中止になるのです。
つまり、人間ではなく、機械の都合だったんですね〜。(笑)

さて、それだけ低い気温の、しかも屋外で働く経験は、なかなか日本ではありません。
そんなこともあって、現地ではいろいろと貴重なお話を聞くことができました。


その一つに、 【 Cotton kills 】 (コットン キルズ) があります。

直訳すると・・、「 綿が殺す 」となります。
何を??・・といいますと、
・・はい、「 人間を。 」 ですね。 (>_<)

それぐらい気温が低いと、人間の肌から放出されるわずかな水分であっても、
綿の下着に吸収されて、しかも乾かないまま、凍り付いてしまいます。
そうなると、体温がどんどん奪われていきますので、低体温症などで
最悪の場合、死に至る・・という意味です。

私がカナダに降り立った頃に知り合った日本人の20代男性が、
「冬はめっちゃ寒いですよー!!
 トレーナー3枚重ねてもダメだったんですよー!!」
と、力説しておりました。
 (・・まあ、15年ほど前の話ですが。)(笑)

当時の私たち日本人にとっては、非常になじみ深い綿製品の下着やTシャツでしたが、
その頃からすでに、現地の人たちは誰一人として、真冬に綿の下着は着用していませんでした。
代わりに着用していたのが、ポリエステルなどの化学繊維を使った機能性下着ですね。

他にも、トレーナーやセーターの代わりに厚手のフリースを着ていましたね。
フリースは、当時メチャクチャ高くてパタゴニアの厚手のフリースは200ドル以上したのかな?
さすがにそんなのはとても買えませんでした。(^_^;)

今でこそ、ヒートテックなど、日本でもお馴染みの機能性下着ですが、
私がカナダに渡った当時は、日本では全くといっていいほど売っていなかったので、
現地のアウトドアショップで、冬山登山用の長袖Tシャツを何枚か購入しました。
また、当時はとっても高かった、アウトドア用の厚手のフリースなども買いました。

  ※ 写真は、下に置いてあるフリースから・・・、
     タイガワークスのフリース (カナダ・バンクーバーで購入)
     MECの機能性下着 (カナダ・バンクーバーで購入)
     フェニックスの機能性下着 (日本で購入)
     2009年度版 ユニクロのヒートテック

やはり極寒の地に行くのですから、必要な衣料は、現地調達の方が確実です。

それと、現地での洗濯は、すべてコインランドリーでしたから
大きなドラム式でガンガン洗いますし、乾燥機にもかけますから、
衣類にはけっこう負担がかかるんですけど、
それでも、その当時買ったフリースや下着は今でも着られるので
「ホントにスゴイなー!!」と、思います。


さて、今では、ありがたいことに
日本でも本当に様々な衣料メーカーから機能性下着やフリースが売り出されていますね〜。
代表的なのは、みなさんご存知のユニクロですね。
ユニクロの低価格フリースやヒートテックは価格と品質のバランスが素晴らしいと思います。

でも、真冬に出かけるときは、
今でも、アウトドア用の厚めの下着を選んでしまいます・・。
やっぱり、暖かさが違いますね。
 (値段も倍以上違うので、当たり前なんですが・・。)(笑)


★今日のテリー語録

「人間の適応能力って、本当にスゴイと思います!!」

さすがにマイナス39℃の日は、家から一歩も出ませんでした。
(不凍液が凍って、車のエンジンもかかりませんから。)
でも、マイナス20℃くらいまでは、スーパーに買い物に行った記憶があります。
一方、真夏になると気温が40℃以上になりましたが、
そんな場所でも人間は生きていけるんですねー。 (笑)

 

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2009年11月02日

たった1台のストーブが、心をつなぐ瞬間・・。


今日は全国的に冷え込んだようですねー。

私が住んでいる家は、築40年ぐらいですから、
イマドキの高断熱の家とは違って、外気温の変化が非常に分かりやすいです。(^_^;)

今年は10月に入っても、例年よりも暖かい日が続いていたので、
特に暖房器具の準備もしていなかったのですが、
天気予報を確認すると、夕方からさらに冷え込むことが分かったので、
「とりあえず何か出そうか・・。」という感じで、
2階から石油ファンヒーターを降ろしてきました。

ホコリなどを簡単に拭いて、灯油を入れて試運転をしてみました。
半年ぶりの着火ですから微妙に時間がかかったものの、ちゃんとつきました。
良かった。良かった。(^o^)

そして、ファンヒーターから出てくる温風に手をかざした瞬間、
まるで、心までホッとするような不思議な感覚に包まれました。

そういえば・・・、この感覚を以前にも味わったような気がする・・。
昔の記憶が蘇ってきました。


今から12年ほど前になりますが、カナダから帰国したばかりの私は、
福島県にあるゴルフ場のクラブハウス建築に従事することになりました。

そのプロジェクトのために福島に呼ばれたのは、
カナダ人が4人、日本人スタッフが2人、そして私・・という構成でした。
ゴルフ場が作られるようなロケーションですから、周囲に宿泊施設などあるはずもなく、
現場から近いところに建っていた古い一軒家を借りての共同生活が始まりました。

私たちが呼ばれたのは、11月の下旬ということもあって、
毎朝、霜が降りるほど寒かったのですが、全員がほぼ同時に福島県入りしたこともあり、
布団の用意だけはなんとか間にあったものの、暖房器具の用意までは間に合わなかったようです。

ほとんどのメンバーがそのプロジェクトのために急遽集められたため
ほぼ初対面に近い状態でいきなり工事が始まりました。

特にカナダ人にとっては、言葉の壁や、慣れない環境での仕事ということで、
常にストレスに晒されていたことは、容易に想像がつきます。
仕事上の指示など必要最低限の会話はするものの、時には意見が衝突することもあり、
みんな、常に険しい顔をしながら仕事に従事していました。

数日後、ようやく待ち望んだ1台の業務用の石油ストーブが、
台所に運ばれてきたときは、思わず歓声が上がりました!!

さて、ストーブが入って最初の日曜日の朝、
平日は早起きのカナダ人たちも、のんびりと起きてきました。

私が石油ストーブに着火すると、みんながストーブを取り囲むように集まってきます。
その家にダイニングテーブルはありませんでしたが、
みんなでイスになりそうなものを、ストーブの周りに並べていきました。

ふだんの朝食は近くの食料品屋さんで菓子パンを買って済ませるのですが、
その日の朝は、私がコーヒーを入れて、その傍らでカナダ人がフレンチトーストを作ってくれました。
簡単な朝食ではありましたが、ストーブを囲みながら談笑している内に、
今までの緊張感が徐々にほぐれていきました。

朝食後も誰も席を立とうとはせず、ストーブに手をかざしながら、
お互いの生れ故郷の話や家族の話にも花が咲き、
一気に和やかなムードに包まれたのです!

たった1台の石油ストーブが、心の中まで温めてくれた瞬間でした・・。

そして、翌日からは、お互いに声をかけながら助け合い、
チームとしてスムーズに仕事が進んでいきました。

その古い一軒家での生活は、確かに寒くて不便なものでしたが、
その一方で、人と人がつながる「温かさ」を教わったような気がします。


★今日のテリー語録

「火の周りに人が集まる瞬間って、なぜか無性にうれしくなってしまいます。」

これも人間の本能なのでしょうか?
ふだんはお互いに警戒しながら、適切な距離を保とうとするのに、
本当に寒いときは、ごくごく自然に寄り添って、
気がつくと、心の壁を乗り越えていくようです。(^o^)

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posted by テリー at 23:43| Comment(2) | TrackBack(0) | カナダ時代

2009年06月26日

左脳的思考と右脳的思考 2/2

  2009_06260005a.JPG  

・・・さて、私の左脳は当然のごとく説得にかかりました。

「おまえはバカか?
 何で大学まで出てわざわざ職人になるんだ??
 そんな汚くてしんどい仕事をやる必要がどこにある??
 ブランドもののスーツを着て、
 かっこよくスマートに商談やプレゼンをこなすんじゃなかったのか?
 そして実績を買われて海外に赴任するんじゃなかったのか?
 商社に行けばそうなるんだぞ!
 仮に商社じゃなくてもふつうの企業でも海外に出張したり、
 海外転勤はいくらでもあるだろう!」

左脳のいうことは誠にもっともです。
非常に道理にかなっています。

また、私自身はとても手先が不器用だと自分で思っていたので、
そんな自分が職人をするとは到底思えませんでした。

仕事場ってどこだろう?
やっぱり人里離れた山奥で仙人みたいに生きていくのだろうか?
よく知らないけど、きっと給料も少ないだろうし、
素敵な女性とデートするというライフプラン?からも大きく外れそうです。(笑)

しかし、「何の脈絡もなく」出てきたイメージ・・、
しかも現在の自分との接点は全くない・・、
そのこと自体に何か意味があるような気がしてなりません。

私は左脳のいうことの一つ一つにうなずきながらも
最終的な結論は、右脳的な「イメージ」の方を取ることに決めました。

そう、私はログビルダーになることに決めたのです!

その後、私は一切の就職活動をせずに、自宅に送られてきた大量のリクルートや
大手企業からのダイレクトメールを廃品回収に出すために整理しはじめました。
(透明の封筒は出せないといわれたので・・。)
結果として段ボール箱3つ分ぐらいは処分したでしょうか?

大学4年の6月頃になると研究室でも同期の学生たちの内定報告が入り始めました。
もちろん私のように就職せずにログビルダーなどの職人になる!・・という者は一人もいません。
私が話すと、不思議そうな顔をされたり、
「素敵ですねー。」と表面上は繕ってくれる方が多かったです。

マジメな後輩にいたっては、
「すいません!!僕は先輩の生き方に憧れていますけど・・、
 就職に関してだけは、どうしてもそれはできないんです!!
 本当にすみません!」・・と言いながら逃げていく始末です。。。
 (誰も、「同じことをしろ!」なんて言ってませんが・・。)


でも、「右脳的」イメージを選択したことは、結果としてとても近道になりました。

当時の私は、極度のコンプレックスから自信喪失に陥っていました。
同期の学生たちと自分を比較する度に
「何をやってもうまくいかない・・、生きていてもいいことはない・・。」
と思っていたぐらいです。。

しかし、卒業後すぐに大工の見習いを始めたことで、
2年後には、カナダという言葉も習慣も違う国で働くだけのスキルを身につけ、
最初は言葉も通じなかった異国の地で、実力を認められたことをきっかけに、
大きな自信を持つことができました。

他にも、様々な人種の人と一緒に働いたことで、発想の幅や器を大きく広げることもできました。
このことは私の価値観にも大きな影響を及ぼし、今でもいろいろな場面で役に立っています。

後から考えても、これだけ短期間に自分のコンプレックスを克服し、
「自分が幸せになれるんだ!」という絶対的な確信を持てるようになったのは、
まちがいなく右脳的な選択をしたおかげだと思っています。


★今日のテリー語録

「別に他人と比べたり、他人に説明する必要はないんですよ。」

右脳的な選択をすると、ほぼ確実に周りの人から反対されると思います。
理解してもらおうと説明しようにも、決めた自分自身でも理解できないので、
説明にも困ることでしょう。
でも、無理に説明しなくてもいいんですよ。
・・理由は後から分かりますからね。

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posted by テリー at 13:19| Comment(0) | TrackBack(0) | カナダ時代

2009年06月25日

左脳的思考と右脳的思考 1/2

   2009_06250003a.JPG
人には、左脳的思考(論理的思考: 頭で自覚して考えた思考)と
右脳的思考(直感的思考: 頭で考えるというより何となくそう思う・・的な思考)
があると思います。

私が今まで決断したシーンを思い起こしてみると、、、
何となく違和感は感じるけれど「論理的にはこれでいいだろう・・。」と判断してしまい、
結果として、「やっぱり失敗したー!!」と思ったことが何度かあります。

その一方で、
「論理的には全く説明がつかないし、むしろそれを選ぶなんて自分はバカなんじゃないか?」
と思いながらも、何となくこっちの方がよさそう・・で決断したことは
結果として正しかったということもよくあります。

それを自分ではっきりと自覚した最初の例を挙げましょう。


私が大学4年だった当時は、今と違って超売手市場、私のような地方の国立大の者にも
主にリクルートからだったと思いますが、毎日大量のリクルート雑誌が送られてきたり、
私の自宅にまで大企業の採用担当者から面接を受けて欲しいと電話が入るような時期でした。
(世代的には『バブル入社組』になります。)

経済学部にいたことや、いずれは海外にも住んでみたいという憧れもあったので、
何となく商社に行けばいいのかな?ぐらいに考えていましたが、
まだこの時点でどの業種に就職活動をすればいいのか、迷っていました。

その一方で、大学3年の冬辺りから何となく職業欄に「会社員」と書きたくないなあ
・・とも思うようになっていました。
とにかく周りがソワソワし始めたこともあり、何かをしなきゃいけないんだろうけれど、
これをやりたいというものが特にない以上、動くに動けない・・というのが私の実情でした。

当時、大学3年〜4年までは金沢の広坂にあった雀荘でアルバイトをしていました。
バイトの時間は夕方から深夜だったので午後2時〜4時ぐらいまでよく仮眠を取っていました。

大学4年の4月のことでした。
私はいつものように午後から仮眠を取っていましたが、
その仮眠から覚める直前に、頭の中になぜか
「私がログハウスを作っている・・」強烈なイメージが出てきたのです!!

これはいったい何だ??
ひょっとしてこれを仕事にするという意味??
まさか!?

国内を友人と旅行しているときにログハウスのレストランなどに入ることはありましたが、
特に感動するわけでもなく「変わった建物だなあ。」ぐらいにしか思いませんでしたし、
特に印象に残ったわけでもありませんでした。

それにそんな変な家に住みたいとも思わなかったし、
ましてや作りたいなんて夢にも思わなかったので、
何の脈絡もなくそんなイメージが出てくること自体、
当時の私には理解しがたいことでした。

さて、私の左脳は当然のごとく説得にかかりました・・・。


・・左脳的思考と右脳的思考 2/2 に続く。


★今日のテリー語録

「人からの評価を気にしすぎていませんか??」

自分がなんとなくこっちに行こうか・・と思っているときでも、きっと他の人が聞いたら、
「あり得ない!! バカじゃないのか?」と言われるときがあります。
自分の親だったり、パートナーだったり、会社の同僚だったり、親友だったり・・。
そんなとき、あなたならどうしますか?

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posted by テリー at 16:51| Comment(0) | TrackBack(0) | カナダ時代
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