2012年03月13日

鵜住居地区防災センターの悲劇 2/2

 
・・・ 鵜住居地区防災センターの悲劇 1/2 の続きです。


そして、平成23年3月11日、
いよいよ本当に大津波の危険性が迫りましたが、
人間の本能として、“いつもの場所”に避難するように体は反応してしまい
いつもの防災センターに避難したことで、
そのまま大津波にのまれて大勢の住民が亡くなってしまいました。

犠牲になった方の中には、地震発生当時
せっかく本来の避難場所である西側の高台近くにいたにもかかわらず、
わざわざ移動してまで、低地にある防災センターに“避難”してしまい
そのまま亡くなった人までいたそうです。

もし、本来の避難場所を避難訓練に使っていたなら
このような悲劇は避けられたのかもしれません。

また、「防災センター」というネーミングの問題もあったでしょう。

避難訓練に使っていたとはいえ、
本当はただの公民館だったそうです。
(だから利便性の高い低地に建設された・・。)
しかし、公民館の建設では予算がなかなか下りないため
「防災」の名目をつけた・・とのことでした。

そしてこの「防災」の名前がついたことで
住民の間に、「防災センターにいけば安全!」
との意識が生まれたとしても何ら不思議はありません。


「手段が目的化する。」

私がいうまでもありませんが、、、
避難訓練とは、住民の命を守るために実際の災害を想定し、
可能な限りそれに近い形で訓練を行うことで
実際に災害が起こった場合であっても、
スムーズに避難できるようにするために行うものです。

しかし、長らく津波の被害がなかったこともあり、
避難訓練の参加率を上げるための「避難訓練」、
言い換えるなら、「訓練のための訓練」になっていたようです。

このような「手段が目的化する」例は、
私たちの身の回りにも多いのではないでしょうか。

たとえば、健康診断で高血圧を注意されたのをきっかけに
降圧剤を日常的に飲み始め、血圧を毎日計るうちに
いつのまにか血圧の数値を下げることの方が目的化してしまい
数年後には、降圧剤の飲み過ぎで肝臓や腎臓を悪化させてしまうケースなどですね。


避難訓練の目的をもう一度よく考えて、
本来の避難場所への避難をやってみることによって
避難経路の安全性や移動時間、問題点を明確化し、
避難に時間がかかりすぎるようであれば、
その対策を取ることも必要になってくるでしょう。

鵜住居防災センターの悲劇は、
このような人間が犯しがちな失敗とその大きなリスクを
私たちに教えてくれました。

最後になりましたが、
鵜住居で亡くなられた方々、ご遺族の方々には
心よりお悔やみ申し上げます。


★今日のテリー語録

「人間は失敗を犯すものです。」

あまりにも大きな犠牲といわざるを得ません。
だからこそ、この悲劇を徹底的に検証しその教訓を後世に伝えるのも
私たちの大切な使命ではないでしょうか。

今日も最後まで読んでいただき、ありがとうございました。
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posted by テリー at 06:23| Comment(0) | TrackBack(0) | 東日本大震災
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