2009年07月10日

木造校舎の思い出・・子供たちに最適な環境とは? 2/3

 
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さすがに何年も通っている内に、私はそのボロっちい校舎が好きになっていました。
そんなところに校舎の建て替えの計画が出てきました。
理由は、「戦前の建物であるが故の老朽化」でした。

昭和53年の宮城県沖地震の影響もあったかもしれませんが、
その当時はまだ小学4年生ですからそんなことは知る由もありません。

そして、昭和54年頃から小学校のグランドに工事用の仮設フェンスが建ち、
新校舎の新築工事が始まりました。
古い校舎は好きでしたが、これで新しい鉄筋コンクリートの校舎になれば、
今までのように他校の生徒からバカにされることもなくなるので、
どちらかと言えば、期待感の方が大きかったと思います。

さて、工事は順調に進み、私が6年生になったばかりの時に新校舎への引っ越しが行われました。
つまり、私は新校舎での初めての卒業生になるのです!
引越作業をしながらとてもワクワクしたのを思い出します。

新しい校舎は鉄筋コンクリート4階建てで、
外観もグレー一色ではなくカラフルな塗装がされていましたし、
当時の最新設備とカーペット敷きの教室まで備えていました。
ふだん嗅ぎ慣れない新築のニオイも
子供心に「やっぱり新築の校舎はいいなー!」と思える材料になっていたのですから
かわいいもんですね。
(今から考えればホルムアルデヒドやシンナーが充満していただけですが・・)

私たちは6年生だったので、4階建ての最上階に教室が割り当てられました。
つまり毎日4階まで階段を上ることになったのです。

実際に階段を上ってみて気がつきました。
「ひざが痛い・・・。」
小学生だからなぜだか分かりません。
慣れない4階までの往復だからひざに負担がかかったのかもしれない・・。
直に収まるだろうと思っていましたが、卒業までずっとそのかすかな違和感は残りました。

また、休み時間もなるべく階段の上り下りは避けたかったので、
自然と同じ階だけで過ごすようになりました。
用がない限りは違う階に行かないということです。
ですから新校舎に移ってからは、違う学年の子たちと触れ合う時間も自然となくなりました。

さらに休み時間になっても何となく校舎内が静かです。
木造校舎の時のような地響き(ドッドッドッー!!)が全く聞こえてきません。
廊下を走る者がいなくなったからです。

そして以前はそこら中に貼ってあった「ろうかは走るな!」のポスターも見当たりません。
走る者がいないのに貼る必要がないからです。
当然、年に一度描かされたポスター作りも標語が変わって、交通標語になりました。
表彰されたものだけは校舎内の掲示板に規則正しく貼られていましたが、
妙に小綺麗で殺風景な校舎内になりました。

そういえば、校舎内にいつもいたはずの用務員さんの姿も見ることはなくなりました。
さすがにコンクリート製の床を抜くパワフルな小学生がいないからでしょうか。
ちょっと寂しい気もしましたし、できれば卒業する前に
いつもフローリングを直してくれたお礼が言いたかったのですが・・・。

1日歩いているだけでひざが痛くなるような校舎ですから、
放課後に残って遊ぶような子も見当たりません。

かつての遊び場でもあった学校は、その新しい校舎にはありませんでした。


・・・その3につづく。


★今日のテリー語録

「子供の五感は、大人が考えている以上に敏感です。」

子供たちは自分の感覚にとても正直です。
歩いてみてひざが痛ければ、なるべく歩かないようにしますし、
不快な場所ではサッサと帰ろうとします。
どこが”安全”か、的確に判断する子供たちの声に、もっと耳を傾けてみませんか?


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posted by テリー at 11:17| Comment(0) | TrackBack(0) | 木造の校舎
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