2011年3月11日。
宮城県石巻市立大川小学校を大きな津波が襲いました。
わが子を亡くしたお母さんたちは、やがて
小学校のそばにたくさんのひまわりを植え始めました。
日差しを浴びて、ぐんぐん成長していくひまわりに重なるもの。
それは、何よりも大切な、愛する子供たちの姿。
2011年(平成23年)3月11日に東日本大震災が発生しました。
地震発生後およそ50分経った15時36分頃、
地震による大きな津波が三陸海岸の河口から約5kmの距離にある
石巻市の大川小学校を襲いました。
新北上大橋のたもとの三角地帯に避難するために移動を開始した
児童108名中74名と、教職員13名中10名、スクールバスの運転手が
亡くなりました。
( ウィキペディア より一部抜粋)
東日本大震災から4年経ちましたが、
震災で大切なわが子を亡くした親御さんやご親族の方には
今でもつらい思いをされていることだろうと
想像には難くありません。
その一方で、大切なわが子を亡くしたことを受け入れながら
懸命に生きていくことを選んだ親御さんがいました。
「ひまわりのおか」はそんなお母さんたちのお話です。
懸命に生きていくことを選んだ親御さんがいました。
「ひまわりのおか」はそんなお母さんたちのお話です。
震災から3ヶ月が経とうとしていた6月のはじめ、
一人のお母さんが
「丘の上の花壇に、ひまわりを植えようよ!」といいました。
一人のお母さんが
「丘の上の花壇に、ひまわりを植えようよ!」といいました。
「ひまわりが咲いたら、きっとよろこぶよ」
「もう、何もしてあげられないしね・・・」
「みんな、ここに来たかったんだもんね!」
「もう、何もしてあげられないしね・・・」
「みんな、ここに来たかったんだもんね!」
お母さんたちはひまわりの世話をしながら、
ひまわりに話しかけています。
ひまわりに話しかけています。
「ここも津波にのまれて潮をかぶったから、ひまわりは育たないよ。」
といわれても
「それなら、お水をたくさんあげましょう。
しょっぱくてのどがからからでしょ。たくさん飲んでね。」
といわれても
「それなら、お水をたくさんあげましょう。
しょっぱくてのどがからからでしょ。たくさん飲んでね。」
「水はやりすぎない方がいいよ。
根っこが育たなくなるから」
といわれても
「いいよ。あまやかそう。
飲みたがってるんだもん、たくさんあげようよ。
もうがまんしなくていいよ。」
根っこが育たなくなるから」
といわれても
「いいよ。あまやかそう。
飲みたがってるんだもん、たくさんあげようよ。
もうがまんしなくていいよ。」
ひまわりの世話をしながら、お母さんたちは
亡くなった子供たちに話しかけています。
・・・ 「ひまわりのおか」 (東日本大震災でお子さんを亡くしたお母さんの物語) その2 に続く。