離陸から突然の衝撃音、ダッチロールなどの後に墜落、
さらに墜落から生存者の救援、
亡くなられた方の生前の様子など、
見ていて胸が締めつけられるようでした。
あらためて、この事故で亡くなられた方、
また29年経った今でも苦しんでいるご遺族の方に
謹んでお悔やみを申し上げます。
また29年経った今でも苦しんでいるご遺族の方に
謹んでお悔やみを申し上げます。
ご存じない若い方のために説明しますと、
日航機墜落事故とは、
1985年(昭和60年)8月12日月曜日18時56分に、
東京(羽田)発大阪(伊丹)行同社定期123便
ボーイング747SR-46(ジャンボジェット、機体記号JA8119)が、
群馬県多野郡上野村の高天原山の尾根(通称「御巣鷹の尾根」)に
墜落した航空事故である。
( ウィキペディアより参照)
1985年(昭和60年)8月12日月曜日18時56分に、
東京(羽田)発大阪(伊丹)行同社定期123便
ボーイング747SR-46(ジャンボジェット、機体記号JA8119)が、
群馬県多野郡上野村の高天原山の尾根(通称「御巣鷹の尾根」)に
墜落した航空事故である。
( ウィキペディアより参照)
日航機の事故当時、私は高校2年だったのですが、
この未曾有の、そして飛行機の単独事故としては
世界最多の犠牲者を出したこの事故は
私の記憶に深く刻まれました。
その記憶が呼び起こされたのは、
今から15年ほど前、友人に誘われて行った
東南アジアのタイ旅行での帰りの便でした。
格安ツアーのチケットだったこともあり、
帰りの便はバンコクからの直行便ではなく、
マレーシアのクアラルンプール経由でした。
帰りの便はバンコクからの直行便ではなく、
マレーシアのクアラルンプール経由でした。
バンコクを離陸してしばらくすると、
飛行機は大きく揺れ始めました。
シートベルト着用のサインに英語のアナウンスが何度も流れ、
私の隣の席のコーヒーが大きくこぼれ始めました。
すでに何度も海外へ旅行や仕事で出かけている私にとっても
これほどの大きな揺れは経験したことのないぐらいでした。
全く予測のつかない方向に前後左右上下と揺れるものですから
10分もすると乗り物酔いの症状が出て
吐き気と眠気が同時に襲ってきました。
「ひょっとしたら、、、落ちるかもしれない・・。」
不意に日航機の事故のことが思い出されました。
手近にある紙袋に遺書を書くことも一瞬考えましたが、
当時はまだ独身で、嫁さんに出会う4ヶ月前のことでしたから、
誰かにあてる遺書も思いつかず、、、
気分が悪かったこともあり、そのまま眠ることにしました。
手近にある紙袋に遺書を書くことも一瞬考えましたが、
当時はまだ独身で、嫁さんに出会う4ヶ月前のことでしたから、
誰かにあてる遺書も思いつかず、、、
気分が悪かったこともあり、そのまま眠ることにしました。
「これでもう目を覚ますことがないかもしれない・・」
とも思いましたが、
「まあ、そのときはそのとき、痛いとも思わずに逝くだけのこと。」
と思い直して、そのまま眠りにつきました。
とも思いましたが、
「まあ、そのときはそのとき、痛いとも思わずに逝くだけのこと。」
と思い直して、そのまま眠りにつきました。
そして、、、機内のアナウンスで目を覚ましました。
あと20分でクアラルンプールに到着するとのことでした。
窓の外には青い海が広がり、飛行機は安定飛行していました。
「ふ〜〜。生き残ったんだ・・。」
私はあらためて神様に感謝しつつ、
数時間後には関西空港に無事に降り立つことができました。
数時間後には関西空港に無事に降り立つことができました。
ホッとしていた私の元に衝撃的なニュースが飛び込んできました。
私が乗った飛行機と同じ時間帯に、
全く同じ空域を飛んでいた
タイ国際航空の旅客機が墜落していたのです!!
( タイ国際航空261便墜落事故 1998年12月11日 )
私が乗った飛行機と同じ時間帯に、
全く同じ空域を飛んでいた
タイ国際航空の旅客機が墜落していたのです!!
( タイ国際航空261便墜落事故 1998年12月11日 )
あらためて私は自分が生き残ったことに感謝するとともに、
日航機123便の乗客のみなさんの恐怖や無念さを思うと
胸が締めつけられました。
このところ飛行機の事故だけでなく、
悲惨な航空機の墜落が続いているような気がしますが、
悲惨な事故と、それに伴う遺族が少しでも減ることを
あらためてお祈り申し上げます。

